PROPS プロトーク [第2回] 開発・オペレーション|質疑応答編

レビュー/再録


2012年12月9日(日) に開催された「PROPS プロトーク [第2回] 開発・オペレーション」の討議について、ほぼ全文書き起こしを公開します! 今回は質疑応答編です。Speaker:川原秀仁、中尾俊幸、net_heads、藤村龍至 Moderator:納見健悟、平塚 桂

質疑応答

1.主にまちづくりを手がける組織設計事務所に勤務しています。本日の話では人口減少や縮小社会に対してどう海外に展開できるかということが話題にあがりましたが、逆に残される側についてうかがいたいと思います。人口減少時代において、地方都市の開発というものでは、何ができるのでしょうか。
川原

川原――地方のまちづくりにおいては、何かに特化するのが重要だと思います。淘汰は避けられないと思いますが、地方の得意技や十八番をどれだけ付加価値に変えられるかということに尽きるのではないかと思います。私の出身は、佐賀県の唐津市というところですが、食や歴史に終わらないさまざまな優良コンテンツがあるにも関わらず、うまく総合的にブランディングできているとは思えません。そういったものを統合し、産業として形づくることができれば生き残る都市になるのではないかと思います。

藤村

藤村――地方都市ではご存知のように都市政策、公共政策の方針次第で都市間競争の勝ち負けが決まる状況になっています。川原さんはコンテンツが重要だとおっしゃいましたが、万博の時代まではコンテンツを立ち上げ箱をつくるという順番でした。今起きていることは、日常的なもの(=コンテンツ)が動線の要にあれば自動的に売れてしまう、人が集まるという状況で、すなわちアーキテクチャ=物理的な構造のほうが重要なのではないかと思います。物理的な構造をつくるのは、都市政策です。たとえば金沢や青森のような、周辺に目的施設をつくらずにがんばっているところは何とか中心部に人口を誘導しようとしています。そうしないと50年後には75%の道路を管理放棄しないといけなくなるという財政状況に陥り、物理的に都市を維持することができなくなってしまう。必然的にコンパクト化は避けられないと思っています。すると国内の戦略は川原さんが何度も仰っているように統廃合しかない。統廃合をめぐってコンストラクションが起き、政治的な論議が発生します。そうしたことが最も象徴的に現れるのが公共施設であり、特に小学校であると私は考えています。

net_heads

net_heads――例えば高速道路が引かれてそのインターチェンジの周りから開発が盛んになり、都市の重心が移動していくときにそれを無視した開発をしてしまうことが今は多々あります。統廃合はこのような重心がずれて行ったときにも必要です。新しい中心をつくっていかなければいけない。さもないと共倒れしてしまうのではないでしょうか。

中尾

中尾――まちなかに人を誘致しようと思っていない地域がどういう事をしているかというと、例えばイオンの中に出張所をつくったりしているんです。中心市街地から生活が切り離され、どんどん廃れていく。答えがどう出るかはわかりませんが、我々はがんばっている地域を応援したいと思っています。

藤村

藤村――その「がんばっている」という意味には、構造的な戦略もふくまれているんですよね。

中尾

中尾――言い古されていますが、コンパクトシティに象徴されているのではないかと思います。住む部分だけではなく、働く場をつくる戦略が難しいのですが。

2.パイが小さい話が多すぎるなと感じました。インドの新首相からは日本の新幹線システム導入の話もあり、デリー・ムンバイ産業大動脈開発も進んでいます。日本の企業が20社ほど出向き、新幹線絡みの重電機メーカーからはじまる人の動きが生まれています。藤村さんの東南アジアへ向かうラインは綺麗だと思うのですが、東南アジアよりもインドのパイが大きいはずです。インドで動き出そうという状況に対し、そのラインをインドに振るのかそれとも自身の考えを貫くのか、どちらでしょうか。
藤村

藤村――中国、インド、ブラジルのパイが大きいというのはよくわかります。ただ先ほど申し上げたように、私は日本が鉄道をもとに都市開発を進めてきた背景には、この島国のこのスケールであったことが大きく影響していると考えており、単純にパイが大きいからインドに行くという戦略には魅力を感じません。

納見

納見――私の見解ですが、場所の選択はパイが大きいから正しいとは必ずしもいえないと思います。競合が多ければレッドオーシャン、逆に競合が少なく日本型のものが輸出できるのであればブルーオーシャンといえるのではないかと。他の話者には、開発と場所性の関係をコメントいただければ。

川原

川原――私が携わっている事業からの感想ですが、インド・ベトナム・ミャンマーを比較しますと、ベトナムとミャンマーは契約体系や国民性が似ていて比較的入りやすいのですが、インドはリーガルや国民性などいろんな点で、ハンドリングしにくいと感じますね。

net_heads

net_heads――日本の建築史は中国に対応して語られることが多く、東南アジアの建築史はインドに対応して語られることが多いんですね。植民地化の過程でほぼ同じような様式の変遷を見ることができます。そういった意味では、ベトナムやカンボジアに出て行くのは必然ではないかと思います。また経験上、東南アジアの方々は日本人に近い感性を持っており、その意味での市場の大きさとしても魅力的な進出ではないかと思います。

3.働いている鉄道会社でつい最近、新たな経営ビジョンとして『地域に生きる。世界に伸びる』が打ち出されたばかりです。本日はローカル/グローバル双方の観点から沢山のヒントを得ることができました。お話を聞きながら、仮に自分が開発事業を海外に持っていく、プロジェクトマネージャーとなるとしたら、どうしたらいいのだろうと考えていました。ヒントをもらう一方で難しさも感じました。ローカルの文化や法律などを理解し、国際会計基準などグローバルのルールを理解し、ビジネスモデルを構築し、さらには本質であるよいまちづくり、ものづくりをしないとならないというのが、開発事業の輸出である、というふうに理解しました。そのスキルを持った担い手は誰であるべきなのでしょうか。日本のまちづくりの概念を構造的に国外に持って行こうとしたとき、プロジェクトマネージャーはどのような人がやるべきなのでしょうか。そしてどのようなチームを組めば成功に近づくことができるのでしょうか。
川原

川原――非常に難しい問題です。今そのような真のプレーヤーは日本に1人もいないと思います。だからこそ私たちはそのようなプレーヤーになろうと日夜努力をし、チャレンジしています。海外進出を成功させるためには、チーム体制が必要です。その国の法律事情や開発事情をわかっている人、建設のプロ、まちづくりといいますか、不動産開発のプロ。そして最も重要なのはプロジェクトを力強く回すことができる、ハンドリングプレーヤーです。リーダーシップを持ちリスクに対峙しながらも、プロジェクトを回せる人ですね。できると信じ込んででも回せるような人でないと失敗すると思います。国内でもそうですが海外では特に、ハブ機構になれる、人間のマネジメントができる必要がありますね。事業主側でもコンストラクション系でも。

藤村

藤村――最近、1970年代からの巨大開発を担当してきた方にヒアリングを重ねているのですが、すると面白いことに日本の巨大開発は最終的にJRプロジェクトに収斂していくんですね。JRは、商業開発をするようになるまで10年かかっています。87年4月に分割民営化し、JR西日本でいえば京都駅ビルが開業したのが97年です。で、それまでは人材開発をずっとしていたというんです。商業分野へ進出するために、鉄道事業に従事していた方々が内部で組織を改革していった。おそらくその時代のことを参照されれば、見えてくるものがあるのではないでしょうか。とはいえJRの場合、京阪電鉄ほどすぐには話が始まらないのではないかと思います。ステーションシティは阪急電鉄が早かったというように、関西の私鉄が新しいモデルを出し、JRがフォローするという関係があるので、そこを見ていくとよいのではないかと思います。

net_heads

net_heads――京阪の場合は地元の経済界とともに集団で進出し、さらに行政関係ではJICAを巻き込むというように、上手くチームで出ているように感じます。東急は単発のプロジェクトとしての進出ですが、海外事業部を創設したようです。どういう事業、どういうスキームで進出するかによって、会社の関わり方、現場の人間の関わり方が大きく変わってくるように感じます。

4.駅前開発の手法として、駅ビルの事例しか出てこなかったのですが、別の手法はないのでしょうか。
net_heads

net_heads――駅ビルとして何を差すのかで話は違ってくるかと思います。たとえばJRの東京駅なのか、あるいは民鉄のターミナルの話をしているのか。また駅に目を向けても、バスターミナルができれば人の流れは変わってしまう。人の動線上にものを置けば人が入るという話なので、逆に駅ビルがなくなっても他の場所に人が流れるという状況は、私には想像ができないです。

藤村

藤村――これは商店街に重きを置きすぎている建築界、建築学生の問題であると思います。『商店街はなぜ滅びるのか』(新雅史・著)という本がありますが、商店街は利権が強く、政治的に守られていた時代には生き長らえてきたわけです。単にある利権が崩壊した後、利権が別の場所に移ったということであって、商店街が善でステーションシティが悪という議論は難しいのではないでしょうか。建築的にいうとどちらも点なんです。再開発であろうと、ステーションシティであろうと、小学校であろうと。点であるということは象徴的なことで、昔みたいに点のつながりでまちなみをつくるということができなくなってきているのではないかと私は思います。

納見

納見――個人的には鉄道会社にそこを担わせるのかという思いがあります。駅周辺は鉄道事業者が開拓し、中尾さんのような立場の方が地方を開拓するという構造があるはずです。

中尾

中尾――(駅自身は別として)駅前の商業環境はますます小さくなっているという印象です。私は昨年、全国の再開発ビル、地方都市の駅前を調査したのですが、特に上層階がうまく使われていないことがわかり、そこをどうするのかという議論があります。民間がつくったものであれば維持管理できなければ建て替えにという話になるのですが、公共が絡んだものに関しては政治的な意味合いや当事者の権利の複雑化といった問題も抱えていたりします。私の立場としては、そのあたりをひも解いていかないと、と思う次第です。

5.開発会社からホテルの運営会社に出向し、仕事をしています。大きい組織や資本がないと海外進出は難しいのではないかと思うのですが、小さいアトリエや事務所の可能性はどこにあるのでしょうか。
藤村

藤村――国内の小学校と海外進出は、建設業を考える上では表裏一体と考えています。国内の経済圏再編において、製造業の海外移転は避けられない流れです。ただし建設業は地域社会に根ざしているので、ローカルの経済圏を考えた場合、建設業のあり方は重要です。ただそこで、たとえば商品化住宅というものが出てくると、低価格化競争でローカルの構造を破壊してしまう。商業施設や公共施設も郊外移転をすると、都市構造を消してしまう。それに対してステーションシティといった核をつくるものは意味が違います。ただ国内のこうしたプロジェクトにおいてはコミュニティデザイン、ソーシャルデザインが非常に重要で、時間がかかる。建設業全体の再配置をする必要がある。日本の大手の建設業の大部分は海外移転をしないといけないのかもしれないが、それと同時に地方の建設業は公共施設を中心に再配置されなくてはならない。これは完全に政策レベルの課題で、政治家あるいは官僚の方に向けて話をしています。彼らがそういうビジョンを持たなければ実行されない話なので、私はそういったことを発言しています。

川原

川原――観光・ホテル業の場合、私たちはインバウンドのお客さんをどう取り込むかを考えます。中国や韓国の方ではなく、本気で日本に行きたいと考える海外の方に何ができるのか、地方の旅館やホテルの再生に留まらない、より大きな意味合いで観光会社とともに取り組んでいます。その上で海外進出の方法を構築したいと考えています。

中尾

中尾――大きい事務所にはリスクを取ることも含めていろんなことができると思いますが、小さい事務所の場合は地域に根ざすことで生きる道があると考えています。私の義理の父がそうしたことをしているというのもあり、そのように感じています。

納見

納見――私は実務の世界にいた経験から、民の中でまだまだやれることがあると感じています。業界はボーダレスになり、職能の幅が広がりつつあるので、一技術者という立ち位置からでも、たとえばプロジェクトにおける業界慣習的なルールを変えるなど、できることはあるのではないかと思っています。本日の論点となったのは「官と民」というキーワードでした。その中で、建築家である藤村さんが示した「構造を提示する」という視点は非常に重要と感じました。それは本日のような、オープンな場であまり議論されてこなかった話題を、建築家と、われわれが「実務クラスタ」と呼んでいる、組織のなかで大規模施設を手がけるような無名の技術者たちがともに議論をしたからこそ、見えてきたことなのではないでしょうか。今後も土地や建物に関するさまざまなプレイヤーを議論に巻き込んで、PROPSが掲げるテーマの1つ「共通の言葉を探す」ことができればと考えています。本日はありがとうございました。

構成:平塚 桂、納見健悟
データ統括:浅野 翔、森村佳浩
文字起こし:東和俊、春口滉平
動画編集:中名生知之
撮影:楠瀬友将